一貫して<箱の家>シリーズを生み出し続けている難波和彦による、自身の歩みをまとめた書籍。
難波さんと言えば<箱の家>である。<箱の家>と言えば難波さんである。これまで150件もの住宅をつくりながら、住宅作家というイメージがないことが不思議だった。大学教授としての顔が強いから?作っているのが実験的な住宅で作家性の表現が主体でないから?などと考えていたが、本書を読み終えた今では難波さんは1回限りの住宅作品ではなく「プロトタイプ」の「改善」を継続するための「プラットフォーム」として<箱の家>を作っているからではないか、と考えるに至った。*1
<箱の家>の第1作の設計に着手したのは1994年という「失われた20年」が始まる時期である。そのせいか<箱の家>は限りなくローコストを追求することがそもそもの発端である。ローコスト住宅からキャリアを始めるのが今も昔も建築家だが、<箱の家>ではあまりにもローコストであることから施主要望に基づいてプランニングするという常識が通用せず、施主の要望を聞く前に予算内で最低限の性能を確保できる案を提示してしまう。厳しい与件という外部からの条件と、幼少期の生活・池辺・アレグザンダーの影響という難波さんの内で醸成されたものがぶつかりあって一室空間の<箱の家>は生まれた。その予感は自邸やN邸で既に顕れている。
初期の<箱の家>は木造在来工法における寸法、工法、工事種別の単純化の徹底化を図ることでアップデートが繰り返される。予算内で必要な性能を確保するために、断熱性など室内環境に対する試行錯誤も行われている。
在来木造で一通りの改善がし尽くされた後は鉄骨造へのチャレンジが始まる。Windows95が発売されて構造計算が住宅レベルのプロジェクトでも行えるようになったことでラチスシェルに取り組むなど一定の成果もあったものの、ヒートブリッジの克服と鉄骨造ならではのコンポジショナルな表現を両立できず、いったん鉄骨造から離れてアルミ構造に注目するようになる。
アルミは強度が弱く高価な上に熱伝導率が高い一方で、軽量で加工精度が高いという特徴がある。これまでは軸組の架構に注力してきたが、アルミハウスにおいて検討の範囲は部材にまで拡張される。アルミ構造の弱点として想定された断熱性・耐震性を克服するべく発泡剤をOSB合板でサンドイッチしたパネルが開発すされた。このパネルは途中で判明した弱点である遮音性も確保できている。
ここで得た成果を木造と鉄骨造に展開することで、外断熱というバージョンアップを試みる。
鉄骨造では構成的な表現を維持しつつヒートブリッジを克服することに成功し、木造では輸入木材の品質低下(特に寸法精度)に対応すべく軸組へのSE工法やLVL材など集成材の導入を検証している。
このような試みが一定の評価を得たということなのだろう。MUJI HOUSEでは不特定多数の施主に向けた商品化住宅を開発する。
商品化住宅における最大のテーマは工業化であるものの、当時はまだ工業化の道半ばであった従来の住宅の方にコストメリットがあったため、広くは普及しなかった。しかしながら価格差の原因は突き詰めると職人の賃金の安さによるものであるため、人手不足の進行や工場生産の効率化によって相対的に工業化住宅の方がコストパフォーマンスが良くなることは時間の問題であると思われる。これは篠原一男が<原型住宅>を発表した頃から既に指摘されていることである。ような気がする。*2
これ以外にも建築家による商品化住宅の提案は数多くなされたが、工業化のみならず家族形態と生活様式、景観への参加なども盛り込まれたのはMUJI HOUSEの一つの到達点だろう。
また、自由な平面を保証するシステムとしての構法を無意識的に求める住宅業界に対して、難波さんはなんでもできる構法はあり得ないと批判した上で、構法が設計与件、ひいては生活感情に与える影響を指摘し、構法と生活の機能を統合したシステムを考えるべきだと説く。
環境性能が検討の主要な改善点になるのはだいぶ後になってからである。環境性能の要素を断熱性の向上(上述)、気密、熱容量(アクアレイヤーシステムの導入)、輻射(ペリメーターゾーンの性能アップ)の4点で改善している。耐震性や経済性に比べて、温熱環境は実測して数値化することで改善の結果を比較的容易に検証できる。
また、<箱の家>では環境性能がプランニングの主要な要件として定義されている。オールドスクールな機能主義ではまずプランの計画が行われ、その後に機械設備や断熱材によって環境性能の確保が図られる。これは難波さんに限ったことではないが「機能的な」設計とは根本的に異なるものである。
最後は今後の「改善」が望まれる展望と課題がまとめられている。それぞれ以下のように集約できよう。
展望
- 家族像のバージョンアップ:戦後の核家族に対するコンパクト化から、ポスト3・11の家族像に対応したさらなるコンパクト化
- 復興のバージョンアップ:戦災復興の経験から、被災地復興の挑戦へ
- 守備範囲のバージョンアップ:住宅から、建築一般へ
課題
- 建築システムと設備システムの統合が実現する、さらなる工業化
- 集合住宅、特にインフィルでの適用
- 再生建築での適用
- 次世代の家族に求められる1室空間
4について補足。難波さんは将来の住宅について「緩やかに分化し集合住宅のような戸建て住宅になるだろう」と予言しているが、タイムリーなことにぼくも先日以下のツイートをしたばかりだったので共感するところが多かった。
個人の自己も他者との関係も無数のレイヤーが折り重なる「分人社会」では、レイヤー間の共存とアクセシビリティの両立が設計対象という事なのかなぁ。同じような事を考えたりするけどきちんと文章化しててすごいなぁ。
— 渡邉 明弘 Aki-Watanabe (@Akkun_Nabechan) 2020年2月19日
〉RT
大きな物語から無数の小さな島宇宙的な文章は沢山あるけど、純粋であろうとするほど小さなセカイ同士はぶつかり合う。
— 渡邉 明弘 Aki-Watanabe (@Akkun_Nabechan) 2020年2月19日
互いを認知して共存しつつ往来も可能にする、スラブとEVのあるビルのような世界が分人には生きやすいと思う。後は他のフロアの存在に気づく吹き抜けもあるとより良いんだろうな笑
最後に、本書を読んで何よりも好感が持てたのは、著者の等身大の歩みが述べられている点である。
難解な単語は一切登場せず文章は平易である。論理的な飛躍も見られない。そのことが返って<箱の家>が到達した高みを強調している。すなわち、膨大な量の「プロトタイプ」の試作と「改善」の蓄積に下支えされて<箱の家>は「プラットフォーム」になりえているのである。長期間・長時間に渡る活動の成果である。
本書は1995年に始まる失われた20年での改善の記録であるが、ある意味では<箱の家>は池辺陽による<立体最小限住宅>というプロトタイプの「改善」の成果である。であるとしたら<箱の家>というプロトタイプをバージョンアップした次世代のプロトタイプが必要であろう。
*1:「プロトタイプ」を「改善」し続けるための「プラットフォーム」としての建築、という概念が新建築19年11月号の巻頭論壇を読んで整理した概念である。https://kenchikusaisei.hatenablog.com/entry/2020/02/23/150412
*2:https://kenchikusaisei.hatenablog.com/entry/2020/02/09/191920