建築再生日記

建築を見たり読んだり聞いたりして、考えたことを記録するメモ帳

新建築 20年3月号

 リノベーションに必然で特有な問題が「何のために何を残すべきか」という問いである。とぼくらが勘違いしてしまうのは、フラットな敷地にゼロから建ち上げることをいつの間にか建築の前提と考えているからである。タブラ・ラサに線を引くという近代建築に特有の発想は、元を辿れば過去の歴史からの切断という近代建築の試みに行き着くが、歴史からの断切を明治維新と敗戦の2回に渡って経験したぼく達にとって、当時の世の中は(特に戦後の焼け野原は)白紙のキャンパスそのものだったのである。その時代はゼロの大地に一から構想する力が必要とされたことは疑う余地もない。だが現代では文脈の全くないプロジェクトではほとんど無い言って良く、コンテクストがないことがむしろコンテクストたり得るとすら言えそうな程に世の中は文脈の上に成り立っている。そもそも過去を一切参照せずに成り立つものなど本当はあり得ないし、歴史からの断絶を目指した近代建築自体も結局は歴史のひとつに回収されていった。全ての行為が歴史の上に位置付けられるなら、「何のために何を残すか(あるいは残さないか)」という問いは全ての建築が避けては通れない主題なのである。尚、ここで言う「残す」とは物理的な保存のみを指すのではなく、記憶や想いの継承など対象は多岐に渡る。

 うのすまいトモスはリノベーションではなく災害復興のプロジェクトであり、一見すると全てが失われた空白の大地に新たな一歩を刻み込む行為のように思われる。だが「まちの軸」と「復興の軸」が引かれるまでには街全体を移転することも視野に入れた相当な議論がなされたに違いない。そこではなぜ自分たちはここに住み続けるのかという自問自答があったはずである。釜石東中学校・鵜住居小学校中学校・鵜住居幼稚園・鵜住居児童館では大階段から釜石鵜住居復興スタジアムへと伸びる想像の軸が引かれた。うのすまいトモスはこの軸のちょうど中間地点に位置し、実在の軸を地面に刻みつけた。「まちの軸」が復興を暗示する想像の行為だとすれば、「復興の軸」は復興を明示する現実の行為だと言えないか。そういう意味でこのプロジェクトは少しづつ人々の想いが形になっている様を表しているように思える。「この地を残すのだ」と時間を掛けて人々が決断しているのである。

 残すべきかどうかの議論にこれらの力点が置かれた一方で、香川県庁舎代々木体育館は残すべき価値を建築界から社会に訴えて受け入れられたことが最大の成果かも知れない。このような成功例が今後ますます増加するには、残して良かったと社会に認められることが何よりも重要であろう。そのためにもどの時期の状態に戻すべきか、何がレガシー足らしめているかを注意深く見極める姿勢を見習いたい。複雑な増築履歴を紐解きながら施工方法も含めて残すものを選定した大丸心斎橋店本館や、微粒子に分解した要素の並列というオリジナルの設計者の手法と意図を読解・継承して展開するホテルロイヤルクラシック大阪も同様である。そのような行為の積み重ねがブラッケン・ハウス改修のように新築時の部分と改修部分のそれぞれが価値を認められる事例に繋がるだろう。イギリスでは躯体の減価償却がないとのことで、建築家は永遠に残すに足るものをつくる責任を背負っているということである。

 ただ、このように保存ありきで議論がスタートするA級建築はむしろ少数派で、実際の世の中で大半を占めるストックはどこにでもある普通の建物である。入居者が撤退した後にニーズを超えて積層された床だけが残る凡庸な建物はこれからますます増えるだろう。テラス沼田は駅前の商業ビルの再生であるが、床を抜くことで敷地周辺の身の丈に合わせて規模を調整しつつ、吹き抜けを作って中心部まで光を導いたり様々なスケールの空間を生み出すとともに、外壁を後退させて作り出したテラスを新たな中間領域に活用している。こういった計画は新築ではなかなかできないであろう。真庭市立中央図書館は山並みが反射するガラスのスクリーンの奥に既存レンガが透過するという3つのレイヤーから立面が成り立っているが、ダブルスキンにすればより一層の構成がはっきり現れただろう。この反射しつつ透過するスクリーンがせんだいメディアテークに着想を得たであろうことは平面を見れば了解される。それだけに既存躯体の梁型・柱型が消えていれば(梁性が高いので難しいが)どんな感じだっただろうと想像したくなる。中央の柱型はシャッターの方建をもっと大きくしたり本棚と一体化させるなどして存在感を消したりなどできたのかも知れないなどと思ったり。また、RCのスケルトンに地産の木によるインフィルという構成を活かすことを考えると両者を対峙させたくもなってくる。その点で比較しながら見たのはメタルラボのアネックスであるが、こちらは鉄骨の躯体の中に木造の内装が挿入されたという全体の構成から各エレメントの構法に至るまで、あらゆるテクトニクスが露わにされている。

 扇屋旅館は連続的な増築の結果として自然に生まれた中庭に焦点をあて、地域の人々のネットワークという資源と掛け合わせることで、単なる旅館の再生にとどまらない地域を活性化させる公共空間としての役割が見出されている。再生された中庭はオーナー住戸と宴会場へのアプローチであり、デッキを介して宴会場と客室ラウンジに接し、軒を共有する。地元の人と環境客が出会える場所として再定義する。建物が新規も既存も統一的に扱われていることが上手く行っていると思う。

 広域的かつ連続的なプロジェクトという意味ではHareza池袋は芸能都市とでも言うべきコンテクストにハレの場を挿入するという主題を複数の建物が共有している。外壁のパターンを各棟で揃え地面にまで展開させることは、この一帯に統一された意志が存在することを表してはいるものの、それが一体何なのかを伝えるまでには至っていないように思われる。また、ミュージアムタワー京橋/アーティゾン美術館は東京駅周辺に点在する商業施設やエリアマネジメント事業者といった周辺状況および建て替え前の事業者の意向などの文脈の中で「アートと文化が誰にも近い街」と自己を位置づける。街区全体を都市再生特別地区として事業者提案を行なう(https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/cpproject/intro/list_saisei.html)ことで集団規定の緩和を受けているが、周囲から頭ひとつ突き出たヴォリュームは、文化的な用途があてがわれ敷地外との連続性を志向する低層階の上にオフィスとしてエコで均一な光・温熱環境が追求された無柱空間が鎮座し、最上階はちょっと捻るというある意味で古典的な中高層ビルの構成をなしている。「街/環境と繋がる摩天楼」や「開かれた美術館」がどのように実現されるのか誌面からはあまり読み取れなかったが、B街区やアートスクエアが完成すれば見えてくるだろう。南町田グランベリーパークでは大屋根と大階段により駅まわりがスケールアップする一方で十字路に走る動線が短い直線に分解されて多角形状に散りばめられ、細やかなレベル差をつけることでヒューマンスケールに近づけることで、駅と通路のスケールが反転されている。官民協働という共通点を持つのは横浜スタジアムである。

 このような大規模な開発の一方で、団地の一区画の内装である富士見台トンネルは建具や造作、どっしりと構えるテーブルが設計者の等身大のプロジェクトであることを物語つつも「職場としての都心に対する居住地としての郊外から働きつつ住む場所へ」という他のプロジェクトに引けを取らない大きな視座を持っている。

 

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