建築再生日記

建築を見たり読んだり聞いたりして、考えたことを記録するメモ帳

コモナリティーズ

2014年の発行で、たぶんその頃に買った本だと思う。なぜ買ったのかは全く覚えていないし中身もほとんど記憶に残っていなかった。

本の中身を一言で言えば「無人格で均一な個とそれらを束ねる公ではなく人格のある個が社会をつくる方法を考えた」ということなのかな。

 

建築のタイポロジー(長年の反復によって培われた地域固有の理想的な建物のあり方)と人々のふるまい(互いに存在を把握しながら程よい関係性を保つために習得された行動規範)という人間の共有財産に焦点をあて、behaviorology(様々な主体の振る舞いを扱う学問)を考える。人々の振る舞いを生み出す要素(物事の間の相互関連)を人間の共有財産として整理する試み。

 

終戦から東京五輪ぐらいまでは「社会をつくるぞ」という気運があったものの、それ以降はシステムのために人がいるような状態になったことでチャップリンが批判したような人間の疎外が生じた。だからこそ磯崎や篠原が「住宅は建築だ」と言って社会的な文脈から建築を切断させたことは非常に批評性の高いものだった。が、そのゲームもとうにマンネリ化して限界に来ている。そろそろ個に軸足をおいた冒険から別のステージに行くべきではないか。コモナリティはそう言った認識の延長で生じた方向性だと著者は書いている。

共有知を扱おうとしている点は、藤村さんのちのかたちや山道さんの活動にも引き継がれているように感じる。そう思うと東工大の中で先代を批判的に乗り越えようとする意識が脈々と受け継がれているようにも思えてくる。