建築再生日記

建築を見たり読んだり聞いたりして、考えたことを記録するメモ帳

住宅特集2020年9月号 これからの間取り・キッチン

僕が学生だった2010年頃は間取りの時期だったように思う。競って目新しい空間形式を生み出そうという空気感が漂い、その空気をもっと濃いところで感じたいと思って僕は大学院への進学を期に上京した。それも2010年代になると陰りを潜め、かわりにフラグメンタルなリノベーションが誌面を賑わせるようになった。その傾向はここ数年で新築にも広がりつつあり、今ではフラグメンタルな表現で粒子化された皮と表しにされた構造体が標準装備のようになっている。乱暴を承知で「間取りを含めた様々な形式が抽象的な表現で競演したゼロ年代」から「間取りや構成よりも粒子化といった表層の表現に力点が置かれた10年代」へというまとめ方をしてみるならば、20年代は再び間取りの時代になるサイクルである。そして、今月号を読んで、これからの間取りの展開は従来の家族ではなかった他者を家に招き入れることによって引き起こされるのではないかという仮説が湧き上がってきた。というのも、今月号の作品は純粋に間取りだけを追求したというよりは、新しい生活様式を突き詰めた結果として今までにない間取りにたどり着いたという作品、特に住宅以外の用途を含み、血縁と婚姻を根拠にした家族ではない者(中には人間以外も)を住人として招き入れる作品群が多く見られたからである。さらにそれらのいくつかでは他者を呼び込むことで小商いや地域との相互補完が試みられており、住宅と職場や娯楽施設を往復する生活から自宅で様々なことをする暮らしへとシフトしている様子が伺える。ゾーニング法的でない生活様式が始まっているとも言えるかも知れない。

公衆浴場を兼ねる浸水公衆浴場は、戸建て住宅用の浴室と銭湯の中間くらいのスケールの浴室が地域の住民に開放されている。このように自宅の一部を地域のインフラとして開放する者が増えると、自宅の一部を相互にシェアし合うような共同体もあり得るような気がしてくる。こちらが銭湯ならば雑誌編集者の自宅である住居 No.23のパブリックリビングは図書館か。増築部分を残して新築部分を建て替えるという式年遷宮を思わせる住宅であるが、既存/新規の関係に着目すると、プライベートな既存とややパブリックな新規の間をスリット状の通り土間が横切り、プランも一新されている「切断された1階」、逆にプラン上も機能上も新旧がシームレスに連続している「接続された2階」と、異なる新旧の扱いが対照的である(1階は、見方によっては土間・玄関・パブリックリビングがシームレスにつながっているとも取れるように思える)。単管足場の仮設的な外装が将来的な改修を予感させてもいる。

神戸のアトリエ付き住戸はその名のとおりアトリエが併設されることで天井高の高い無柱空間が求められることで、間取りのみならず架構やヴォリュームが決定され、それらが隣地の教会というコンテクストへの参照にもなっている。屋内の長手方向への眺めがどことなく教会を思わせるのは意図的なのだろうか。Sabo Houseは虚の基壇に家型が鎮座している。これは既存の駐車場を活かして設けた地階に光を導くための形式である。サボテンという他者との共生を目指すことで、南側の大開口に吹き抜け状の階段を配置するという操作が加わることで、形式がさらにドライブしている。住宅地の中でレストランを併設した鈴木家は地上階のレストランが厨房を中心に庭も含めた回遊式の間取りが広がりを与えているだけでなく、天空率を活用するために住戸ヴォリュームがセットバックすることでレストランにトップライトが生じ、そこから曲面天井を伝って滑らかに光が注いでいる。外壁の仕上げが天井まで連続していることがさらに空間に広がりを与えている。宿泊業を営む家である岸家はゲストハウスのはなれと自宅兼客用ダイニングを兼ねる母屋の分棟形式という驚くべき構成である。1敷地2建物のようであるが2棟ともどうやって水回り3点セットを揃えているのか気になるが、2世帯住宅やシェアハウスとしても使えそうに見えてきて、1つの住宅で生活は完結しない方が良いようにつくづく思えてくる。これからは床が余るのだから、余剰の床を他者に開放する試みがあっても良いのかも知れない。同じく日常的にゲストを泊めることが想定された志摩の家はキッチンが3つもあるし空間の質もバーベキュー場みたいである。トリッキーなのは住職を分けつつもひとつの敷地内に計画した稲沢長堤の家で、この作品はがらんどうの空(くう)を取り込んでいる。家の中心に位置する間が効率的な住職の配置の結果であることに可能性を感じる。

おそらく新建築や住宅特集の創刊時から取り上げられ続けているのは、敷地の条件による間取りの進化ではなかろうか。ケーブルカーは間取りというより地形に沿って傾斜した屋根とスラブに目がいく。傾斜地に沿った空間構成の住宅は定期的に登場するが、この作品が特徴的な点は微地形に沿って少しづつ勾配を変えていることである。そことによりより直に地形を足の裏から感じることができるだけでなく、部屋の大きさが地面の勾配にリンクしている。泉の家は接道面の2つの出隅をテラス(1つは玄関を兼ねる)としたことで今までに見たことのない道路との関係が生まれている。間取りは外壁に対して軸を振ることで、隅のテラスに視線が向くようになっている。この手法が比較的敷地面積に余裕がある地方だから成り立つ一方で、都会の住宅地では善福寺の家のように狭小住宅で立体的な構成がテーマとなる。塔の家に比べて同じく5層(最上階は塔屋と屋上だが)、建築面積は一回り大きく、テラスや法面の存在により(住宅地であることも影響してか)比較的平面方向への伸びやかさに対する志向が強くなっている。傾斜地であることからRC造の基壇が設けられ、その上に木造の住戸が乗っかっていることから、「塔」の感じというより、基壇の上に鎮座する可愛い家型という感じがする。家型の玄関側の出隅と、その反対側の軒先がアール状に面取りされていることが、それを強調する。住宅地では、塔の家よりも基壇+家型がしっくりくるみたい。

今月号では例外的に純粋に住宅の機能しか持たない雑司ヶ谷 高橋邸はくらを参照した、RCの外壁を立ち上げただけの上棟時の写真に迫力を感じた。同じく北小金のいえは(当初予定していた)平家の建屋と敷地の面積バランスを考慮した結果の45度回転させた軸と太陽に向けた軸が交差して複雑な造形をもたらす。相続の結果生じた不思議な敷地に建つ五平柱の家は、間取りというより棟木から真っ二つにされたような断面形状(とそれに強く影響されたであろう間取り)がこの敷地ならではだと思う。

 

溜まっていた積ん読がやっと片付いてきた。