建築再生日記

建築を見たり読んだり聞いたりして、考えたことを記録するメモ帳

住宅特集 2020年10月号 別荘

10月から東京もgotoトラベルキャンペーンの対象に追加され、首相は東南アジアに外遊してビジネス関連の入国を解禁する方向で調整が始まっている。今朝のニュースでは高齢者施設でも面会が解禁され始めていると報じられていた。感染拡大が一定程度抑えられていることもあろうが、それよりも僕たちが年明けから続く新型コロナウイルスへの感染回避のための生活に耐えられなくなっていることが1番の要因であるように思われる。今月号の特集が別荘と半動産建築であることはこの事を象徴しているように思われる。別荘は都市の過密から逃れる手段であり、動産建築は家ごと移動する住まい方を可能にする手段であり、そしてどちらも移動しながら暮らす事を可能にしてくれる建築である。結局僕たちはある程度動かないと生きていけないのだと思う。少なくとも、移動する自由を保障されてない人生は考えられない。半動産建築については移動可能な住宅のこれからで述べられているように、いずれ一般的なものになるのかもしれない。

 

瀬戸内の別荘は瀬戸内海を望む敷地に位置し、板柱で持ち上げられた居室が4方へ枝状に伸びている。居室は全て矩形で、屋根の高さを変えながら互いに重なり合うことで互いの居室同士や内外が相互に浸透し合う。所々に鏡面の建具に映った虚像が入り混じる。森の離れの敷地を3つに分割して分棟とする形式は森山邸を連想させるが、ここでは樹木の保存や1つのホテルから複数の別荘への転用を可能にしていることが新たな発見だろう。また、各棟が互いに連帯感を持ちつつ森林の風景に溶け込んむことで透明な内部空間が成り立っている点は瀬戸内の別荘と類似しているかも知れない。

一方で屏風絵の家は中心からのパノラマビューが重視されている。また、別荘という用途上起伏の激しい敷地に位置する作品が多い。SETOYAMAは道路に沿って細長い上に背後が斜面地、CLIFF HOUSEは海に向かって傾斜する斜面地。M-WALTZはトップライトからの光が降り注ぐ直線状の廊下の両側に居室と庭やテラスが交互に連結され、森の小屋は矩形を噛み合わせた構成をしており、それぞれ外部との繋がりが意図されている。

軽井沢の住宅産業化の外側に目を向けて建築を考えると題された論考を読む方が分かりやすい。作者はこの中で磯崎新が『小住宅バンザイ』で述べた「住宅は建主との密接な関わりの中で生まれるため建築たる社会性を欠いている」という主張を取り上げている。建築の歴史上エポックメイキングなメルクマールとなった住宅はごく僅かだしその通りな気もする。けれど、建主が自分の思うままに住宅を作ることができるのは、一定の産業構造の範囲内においてである。その範囲の外に出ることで住宅を社会的な存在足らしめ、建築にすることができるのではないか、ということなのだろうか。もしくは産業構造が建主の自由を阻害していることを批判的に指摘しているのかも知れない。

泉涌寺道の町屋西橋詰町の長屋は京都の町屋をセカンドハウスとして改修した作品であり広く土間を取っていることに象徴されるラフさに目がいく。セカンドハウスだから出来ることなのか。