建築再生日記

建築を見たり読んだり聞いたりして、考えたことを記録するメモ帳

住宅特集2020年11月号  スケールとディテール 第36回吉岡賞

ディテールとは単なる物理的な詳細という意味にとどまらず、作品のコンセプトや建築家の信念が現れる箇所なのではないか、という編集の視点には共感する。中でも、副題にあるように環境に開くことに注目しているようだ。住宅特集には住宅を開くというワードがよく出てくる。開き方とはすなわち風土との関わり方であり、和辻哲郎が『風土』で述べたところの風土を通した自己了解の仕方である。そうならば、建築家が風土を通して自己を了解した方法を、ディテールとそこに込められた想いを読み解くことで、トレースできるのではないかという仮説も自然なことに思われる。

そういった意味では、風土や地形からどのようなことを感じたか、最も雄弁に語っているのが尾根の屋根ではなかろうか。地形で感じた事を素直に空間にしようとしていると思う。尾根の突端に位置し、等高線に沿った道路のカーブを延長したような軒先ラインが東側の空に向かって伸びている。反対側の軒は800くらいの高さに抑えられている。ビューを確保するためだけではなく、竪穴式住居の原初にまで立ち返って屋根を再解釈しようという試み。これが屋根の建築だとすればオプティカルグラスのリヤドは壁(スクリーン)の建築か。平面形状はコート・ハウスの形式であるが、コート・ハウスは過去にも正面のない家、ホワイトU、住吉の長屋など日本の近代住宅史でも定期的に名作が生まれている。ただ、この作品がこれらの事例と違う点は、外界と中庭を隔てる壁が透けるスクリーンになっている所である。モロッコのリヤドが引き合いに出されているが、このスクリーンはゲルのように軽い。軽いだけでなく透けているものだから、この家はコート・ハウスであると同時に、道路から透けるスクリーン、矩形の庭、L字型の住宅とグラデーショナルな空間構成をした家だとも捉えられる。そういった軽く透けるスクリーンで囲われたコート・ハウスという点がこの作品の新しさであるように思われる。それにしても中村さんは初期の店舗の時からガラスを透過して屈折する光を使い続けているところにある種の作家性を感じさせられる。

美杉の舞台はセルフビルド故の緩い傾斜における掛け造りと古典的な比率からなる佇まいがセルフビルドに対する強度と大らかさをもたらしている。p.54~55の鏤められた写真が示すように、一つひとつは局所的で目的的な手段の集積でありながら全体としての姿がまとまりあるものになっているのはこの強く緩い構成によると思う。森の図書館ダンゴムシの背中のような、はさみを入れたような、不思議なスリットの入った3次元局面と修正材が天井を分節することで球状の強い形になることが回避されている。グリーンの壁も建築の強さを弱めることを成功させており、穏やかな空気に包まれた不思議な安心感を感じさられる。大原の家白の家のよう隅部の柱が3本まとめられている正方形が二分されている。4方をとりまく下屋のひとつが水回りになっている。2階は4方に解放された気持ちの良いプラン。ODESSEYは一方の出隅に刻みの入ったルーバーがトップライトを柔らかなトップライトの光を作っている。出隅の底面が影で暗くなり側面が光で明るくなる。その繰り返しが効いている。現代の法規に則しながらも伝統的な数寄屋を伝えることを試みている月明と数寄は360角の柱が真壁のまま現代的な性能を担保している。

豪雪地帯にもかかわらず家を開いて自然と一体になろうとする風土が日本の他にあるだろうか、と魚沼の家を見てふと思った。豪雪地帯でZEHの性能を確保しつつ自然と繋がるための、木製サッシとその収まり。船頭小屋は1坪という茶室よりも削ぎ落とされた狭さが故に広がりが実感される。ただっ広い中に立っているだけでは味わえない広がりである。

タープは面白い屋根の作り方がより活かされると良いと感じた。西浦の家は様々な場所を作るために建築と家具と外構が同様に力を入れられている。

House IT 三法吹抜けと密度は、外壁を後退させることで減額と環境性能の確保を両立させることで、建蔽率を最大化に走る商業主義的な建売住宅による住環境の悪化を批判的に乗り越えようと試みている。けれど、大切なのは環境を向上させるハードではなく公共の概念の定着であり、この住宅は僕たちの公共の欠落を示しているように思われる。

 

第36回吉岡賞はうまく作るよりも(うまいけど)ぶつけたエネルギーだろうか。

 

3.5h 時々テレビ