建築再生日記

建築を見たり読んだり聞いたりして、考えたことを記録するメモ帳

新建築2020年11月号/木造特集

今月は木造特集である。国家的な後押しもあって需要が高まっているせいか、最近は毎月のように木造の中高層が掲載されている印象がある。それらの作品はどれも木造であることを積極的に表現しようとしており、建築がハコモノと呼ばれて悪者扱いされていた頃に比べると、「自分たちがやっていることは正しいことなのだ」というポジティブさのような雰囲気を感じる。IT技術の発達もあり新しい建物を作ることができるのではないかという期待感や時代の要求に応えているという自己肯定感を感じる。ある意味木造ユートピアとでも言えそうな(?)状況かも知れない(笑)。とは言えこの自己肯定感の背後にはエコでかつ地域経済・産業に寄与するという政治的正義が付いていることも事実であり、社会への切実な提案というよりは国家の戦略に乗って延命を図ろうとする業界の目論みがあることもまた事実なのかなとも思ってしまう。そういう意味では誰のためのユートピアなのだろうかとも。

特集記事木造の多様な価値観を育てるは大径木など資源の活用法に対する需要、小さい林業と大きい林業ベンチャーディベロッパー・スーパーゼネコンなど新たなプレイヤーが参入している現状や更なるプレイヤー育成の必要性に頷きながら読んだ。山というリソースを最大限に有効に活用するにはなんと言っても歩留まりの良さが不可欠になるわけだが、そういった意味では小郡幼稚園が注目作らしい。一般的には流通させづらい大断面と縦ログ構法による規格品の大量生産のハイブリッドという点で、大きな林業と小さな林業の両方にまたがる作品である。現場打ちとPCを併用したRCのような感じかも。Mesta Pavilionはプレカットの大断面材を海上輸送したという点に可能性を感じたが、作品自体は RCの考え方で部材を木にしたという感じがしており、この工法ならではの建築になるとより良い気がした。カヤックガーデンオフィスCAMPODは三次元曲面が導入され前作からの進歩を感じるし、木造ならではという感じがする。同様に工学院大学附属中学校・高等学校屋内練習場の透明度95%のファサードも木造でないと実芸できないだろう。

透明感というかすっきりした印象としては高知学園大学も近いものがあった。素材も技術も汎用性のあるものですっきりしているが、やや構造表現主義的だと感じる。飯能商工会議所は地元の材と人を動員した構造(平行弦トラス、組格子耐力壁、CLT折半構造、支点桁架構)と内装、それらを包むカーテンウォールというある種表現主義構造主義の感がある。日本人で最初にやったのは坂さんだろうか。他に表現主義的な印象が強いのはスーゼネによる2作。大成建設技術センター 風のラボは構造のシステムが面白いのでこの形を突き詰めれば空間としてもより良くなる気がする。その他、LVL1h耐火構造とRC壁柱の混構造であるやはた幼稚園 保育ルーム、木の屋根構造、鉄骨の梁、木の柱から成り、柱と梁のメンバーがほとんど同じに揃えられている湖の家 サメうらカヌーテラス、同じく梁が鉄骨で逆梁となっているROBRAなど。テクノキューブは流通材を合わせた合成材が使用され、RC造のフレーム構造に合う架構を作ろうとしているが、木造に合う新しい架構を考えた方が良い気がする。


宮島口旅客ターミナルは、厳島神社に勾配を合わせた大屋根が広がり、その下にヒューマンスケールのハコが分散配置されている。軒裏と一部のハコの外壁に杉板が用いられ、その他は白く塗装されることで、図式が明示されている。前作とも通じる、ヤネの下でありつつハコの外である部分が生まれる。ヤネが作る一体感とハコが作る親密なスケール感を生み出している。将来的な増改築などにも耐性がありそうな気もする。
全体を取りまとめる大屋根とヒューマンスケールを作り出す装置という構成は那須塩原市図書館 みるる+駅前広場にも共通している。凹凸による森のような変化のついたヤネに比べると、地上の本棚はやや短調か。
浜離宮近くの構想事務所ビルである東京ポートシティ竹芝は、上記2作と同じく大スケールとヒューマンスケールの横断がテーマの一つである。雛壇状の低層部はヒューマンスケール 緑は浜離宮への応答の意味もあろうが親しみやすさの創出にも寄与している。

 

論考は箇条書きで。。。

  • 70年代は、20年代〜60年代の主役だった、巨匠による近代建築が通用しなくなった
  • コンプチュアルなものだけでなく現場でも通用する理論であった(と西沢が指摘する)手法論
  • 正解は分からないがやってみる
  • 北九州市立図書館、西日本総合展示場
  • 70sに出現した問題は、まだ未解決だが、ポスト・モダニズムに収斂してバブルとともに消えたように錯覚されている

 

(3h)