建築再生日記

建築を見たり読んだり聞いたりして、考えたことを記録するメモ帳

住宅特集2021年5月号

小金井の家は作品よりも批評が印象的。空間形式の変化、使い手の変化が要請した空間の繋がりの緊密さへの気づき。社会に開こうとする意思が別の位相で建築になっていることに対して歴史の創造性を感じるという感受性とそれを言葉にする文章力。こういう文章を書けるようになりたいものだ。空間の透明性などは(一定のリテラシーがあれば)ぱっと見で理解されるけれども、具体的な操作については設計者自身による解説を読んで初めて理解される(作業台の高さを窓下に合わせたとか鉄骨や床の色を周囲にあわせたとかいった操作や、それらが元々の建築に備わっていた内外の連続性を強化するためである事は、解説を読まないと分からない)。

タイムラインが支配的な時代では、記号的な操作や奇抜な色彩・形態をしているといった「映える」ものがますます認知を得やすくなる。とは言え、思考停止のリツイートがもたらすバズりは、大きな運動となり得ることはあっても、批評性がない事で向かう先が定まらず、結果としてどこにも着地できずに尻すぼみとなる。

新建築は見出しもないし、この作品はまとまった文章量の解説を読んで初めて理解されるし、タイムラインでの「映え」とは対極に位置している。それだけに中長期的な思考に耐え得るアーカイブを引き継ぎ、残すという意思が感じられる。

再生 最小限住宅 No.32は同じく建築家による作品の改修だが、前作が周辺環境が変わらない一方で建物側に変化が加えられているのに対して、本作では建物の方はオリジナルの保存・再現に力が注がれており、反対に周辺環境は隣家が密集したりアプローチの屋根が後付けされたりといった変化が生じている。建物の原型を維持しようとするのはオリジナルに対するリスペクトとともに、そういった周辺の変化によって建物の見方やあり方が変化したからだろうか、と思ったり(変化したのかどうか読み取れないけれど)。

片流れの家型に増築して切り妻側にした本棚の家は素材や色味などを新旧で統一していながらも、妻側立面の棟から片方がガラス張りであることからその部分が増築である事が了解される。軸組を現したり新旧の素材を対比させる事とは違った方法論だと思うし、別荘ならではの方法でもある。

G町の立体廻廊は新旧の対比が明示されている。廻廊の新設によって空間の形式がセミラティスからリニアになっている。また、空間相互の距離感が再調整されている。

2m26KyotoHouseは内外を貫いて挿入された木の構造体が、無柱の1階と柱が林立する小屋裏の対比を生み出している。

O projectは2本のコンクリート柱が2*4の箱型空間とも公園の木立とも対比される。

大開のアトリエ住居は、既存建物は商店街でよく見る店舗併用住宅の再生である。スリット状にカットされた外壁は建物の向こう側や空まで視線が通り、内側は空であることが示される。階段を屋外にすることで空間の構成や形式、用途まで鮮やかに変化させている。

古民家の改修である京の温所西陣別邸今井町の家閻魔前町の三連織屋建長屋の3つはどれも奈良・京都の町屋であり、土間の拡張、採光の改善、間取りの更新が共通である。小屋組を表した吹き抜けは魅力的だが温熱環境はどれくらい制御できるのだろうか。

下鴨の家は斜め壁が2つの世界を象徴しつつ4層吹き抜けを作るというとても形式と木軸フレームが交錯しあう。

プログラムが更新されてきた住宅の改修であるナカノイエはこれからのプログラムもファジーであることを受けて、色々な振る舞いを許容する作りが目指されている。寝室という室名すらない。

後半のマンション一室リノベ郡。マンションリノベは水回りの配置と素材がデザインのほとんどを占めることが多い中、そこに止まらない可能性が色々と検証されいる。サニーハイツ102号室は白いタイルで覆われたフェイクのフレームが空間の分節を作りつつ、建物全体の構造を暗示する。203号室は平断面的な切断により広がりを持たせる。ローコストのマンションリノベの可能性が広がるか。吉村順三設計の改修である箱根山のセカンドハウスはオリジナルを踏襲しつつ内側にサッシが増設されるなど。ハイツ池上301号室は建築家の自邸である。大半の低額マンションリノベがそうであるように、この作品も躯体に沿って水回りを配置して気密断熱などの性能確保しているだけである。それが逆説的にもたらす唯一の自律的要素を白いオブジェのように扱うことの是非はなんとも言えない。同じく建築家の自邸である桜坂の自邸は可動間仕切りで可変性を確保している。51cの頃からすでに試みられている方法である。一乗寺の住宅は壁を建てるのではなく内部に構造を建ち上げ入れ子のような構成としているが、動機としてはかなり私的。