建築再生日記

建築を見たり読んだり聞いたりして、考えたことを記録するメモ帳

住宅特集2022年4月号/リノベーションの自由

構造種別と予算によって掛けられる手数と現れ方が全く異なるのがリノベーションの特徴だと思う。掲載されている作品の多くは、限られた予算で良好な住環境を獲得するために、消去法としてリノベーションが選択されている。内装だけをいじっている木造住宅は特にその傾向が顕著である。そんなものは建築ではないという空気感は数年前から徐々に無くなってきて、むしろ建築のいちジャンルになりつつある。リノベーションは芸術であるという宣言はその事をよく表している。

論考と同時に掲載された母の家はまだ元気な母親が余生というには少しアクティブな人生を過ごすための改修工事に、篠原スクール、ソフトの運営、都市への興味、後期高齢者になりつつある団塊世代の生活の場、過去の建築家による母の家など様々な文脈に接続することが試みられている。ロードサイド・ロッジアは住宅らしくないプロポーションや部材のメンバーからなる鉄骨の構造を軽やかな内外装が取り巻き、ロッジアの存在が建物をより一層軽やかにしている。既存の架構が最もうまく活かされていると感じられた。論考ものを手放し生きることと向き合うは共感を得る人も多いと思う。

これら2つの作品は人・家の老い方といかに向き合うかをテーマにした一方で、大半を占める他の作品はこれから人生の充実期を迎える子育て世帯が建主である。彼らの多くはアートや建築に携わる自営業者で、物理的にも社会的にも世の中の片隅で細々と生きるような人たちが多い感じがした。構造や下地や小口が露わになっている状況が住まい手に受け入れられるのか疑問に思う一方で、かつて都市住宅で展開された、コンクリ表しの上にベニヤという手法が今では世間に馴染んだような事が起こる気もする。東京下町の長屋を改修した路地の回廊は、3次元的に展開する線材は、色や形から様々な時期に設置された事が、また根太や貫の跡から複数回の組み替えがなされた事が、直観される。このことが、架構の物理的・理念的な柔らかさを感じさせる。時間を経た木の架構が不思議と身体に馴染む気がするのは、多分このせいだと思う。手入れをしながら長く使い続ける日本家屋や日本人のしなやかさがあるという編集者の視点を思い出す。逆に茗荷谷の舎に見られるコンクリートの表面や切断面、階段を解体した後に出てきた鉄筋などのラフな仕上げは、設計者夫婦の自宅兼アトリエじゃないと受け入れられないだろう。倉庫を住宅に改修した浅草Baseは力強いフレームが展開しており転用ならではの住宅になっている。建て込んだ立地である事から開口は新設されたトップライトだけなのも効いている。

予算や法規、構造的な要因がある場合はいよいよ扱う範囲は内装だけに限られる。となりはランデヴーは、既存サッシの内側に合板をくり抜いてポリカを嵌めただけの断熱サッシをつける事で、単なる断熱改修だったものに「秘密」を纏わせている。「秘密」の効果や目的は定まっていないことがこのプロジェクトの本質のように思える。ハウス/ミルグラフは、枠組み工法によるHM住宅の認定が無効にならない範囲内でしか弄れないという制約の中で、ささやかで切実な設えの変更にまとを絞る。構造をいじれないためプランと仕上げが主題になりがちなマンションで、モリスハウスは仕上げに狙いを定め、様々な市場と価格相場の部品を混在させている。部品を4つに分類して標準化するアイディアは面白いけれど、そもそもこの手立てが有効なのは施主がアンティークの家具を持っていたからだという気もする。

予算が本当に限られている場合は自主施工も珍しくない。Sankyo Dayo Houseは分厚いファサードを挿入することで外壁の更新を試みる。これを設計者の自主施工でやったのは凄いが、ゴンダンチも自主施工である。常識を逸した低予算で住まいを確保する術としてのリノベーションが掲載されているのを見る度に、建築家は職域が減り続け社会の隅に追いやられているような気分になっていた。けれど最近はデザインと施工を民主化する先鋒としての役割を担うような人もいるかも知れないと考えるようになってきた。Sankyo Dayo Houseは分厚いファサードを挿入することで外壁の更新を試みる。これを設計者の自主施工でやったのは凄いが、ゴンダンチも自主施工である。常識を逸した低予算で住まいを確保する術としてのリノベーションが掲載されているのを見る度に、建築家は職域が減り続け社会の隅に追いやられているような気分になっていた。けれど最近はデザインと施工を民主化する先鋒としての役割を担うような人もいるかも知れないと考えるようになってきた。

2/5は路地と家を連続的に扱おうとしている。緩やかな一体感があり、2戸を1戸にして使う自由さがある。Row House in Nishinotorinは豊富な文脈と情報の中に抽象性の高い要素を挿入する。土蔵と補う増築はその名の通りの作品。単に面積を増やすだけでなく採光を確保したり空気の循環を促す装置としての増築。光のあみの家はエキスパンドメタルの庇と、ドットプリントがなされたアクリル天井によって光を調整した住宅。東寺の住居はリノベーションの表現の幅を広げるとあるが、銅板の吹き抜けは新築でも作れるし、リノベーションだからこその意味があるとも考えにくい。蓮華蔵町の長屋は水平力の伝達経路を慎重に検討しつつ使用済の型枠を使ってRCコアを既存に馴染ませている。いろえのいえは外壁の屋内側の仕上げを合板とし、窓枠を兼ねた棚と同じ仕上げにした事で、内外の距離感が縮まっている。カラフルな壁やカーテン、中に置かれているモノの明度が整っているのも一役買っている。