建築再生日記

建築を見たり読んだり聞いたりして、考えたことを記録するメモ帳

都市・住宅論

東孝光の作品に初めて出会ったのは、上京して最初の現場見学で現場の近くに『塔の家』がありますよとメールで教えられた時だったと思う。当時はそれが現場に来るついでに見てきなさい、というメッセージに気づかないくらいに鈍感だったから、確かその日は見ていないと思う。

たぶん後日見に行ったのだと思うけれど、予想以上に小さく、コンクリートのゴツゴツとした存在感があった記憶が何となく残っている。本当は見ていないかも知れないけれど。

 

本書の中身はざっくりいえば東さんが70年代半ばから90年代初めにかけて記した文章をまとめたものである。坂倉事務所の所員として大規模公共建築の設計で使っていた5つの手法(コンクリ打放し、吹き抜け、トップライト、レベル差、飛び梁)を展開させてデビュー作の自邸『塔の家』をつくる中で「都市住宅」の概念が生まれる。それは極小の土地でも都心に住むという個人としての決意の現れでもあり、商業地域の都心と住居地域郊外の2分に対する批判でもあり、住宅は住み方を決意した住まい手と共につくるというスタンスが形づくられた時であった(と思う)。

この時に使われていた手法は後の作品の基礎となるだけでなく、いわゆる建築家的な作品のためのヴォキャブラリーにまでなっている。今でもよく使われる合板の使用は、下地の現しにするというコストカットへの手段であると同時に、素材や構成をありのままに表現するという近代建築の美学の徹底であった。また白のペンキ塗りは、素人ユーザーが工事に参加してもらうための方法であり、多様化しつつある建材の交通整理という側面もあった。今と同じじゃないか。

今と同じと言えば、長寿命のRCと短命な紙や木や土という対比(SI概念の走りですらあるのでは)、その他に個人と集団、囲いと開放、連続と隔離、混合と単純化という対立し矛盾する概念の同居は安藤忠雄も良く言っている。そういった対立性の他、それぞれの状況に応じて自由に生きる人間の姿を建築に反映させて多様性を表現することへの志向も今日的とすら言える概念でなかろうか。多様性と対立性をテーマにし始めた頃から、いくつかのヴォリューム同士や建築と都市を接続させる手法としてスリットが編み出されている。後半の住宅作品はほぼスリットの扱い方と言っても良いくらいだ。

仕事の規模も大きくなったのだろうか、集合住宅や幼稚園などの仕事では建築と都市の関係についての言及が多くなる。70年代に初めて訪れたヨーロッパのパラッツォに触発されて、中庭側に立面を作り始める。無計画な計画による自己増殖性について語る。具体的な形となったものは流石に個人住宅の他は中層規模の集合住宅や幼稚園までだったみたいだけれど、出発点は高度成長期における都市と地方の中でいかに住うかという非常に大きな視座を持っていたし、数々の作品は安藤忠雄などにも影響が見られるし、ここで編み出された手法は今では基本的な作法にすらなっている。大切なのはその作法そのものではなく、なぜそのような作法が生まれ広まったのかである。

 

(7時間くらい?)