建築再生日記

建築を見たり読んだり聞いたりして、考えたことを記録するメモ帳

住宅特集2020年8月号 特集 庭 人と自然を繋ぐもの

文明と自然の関わりは古今東西の重要なテーマであり続けているが、ほとんど全ての文明が脅威としての自然に対峙するか大自然の一部として溶け込むという戦略を取ってきた中で、日本は里山に代表されるような人工的な自然と共生するというユニークな感覚を磨いてきた。人と自然を繋ぐものという副題がそのことをよく表している。個人的に印象深い庭は龍安寺の石庭と慈照寺銀閣)の庭である。前者は矩形に囲われた抽象的なコモスが塀の先の山々と侵食しあうことで空の彼方まで一体になった感じがする。後者は歩くたびに目眩く変化する光景にある種の奥深さを感じた。どちらも人工的な自然を通して自然そのものと繋がったような気になれた、非常に豊かな経験をさせてくれた。

CO-VID19の世界的な感染拡大がまだまだ収まる気配を見せない中、ウィズコロナという新たな環境とどのように関わりあって住まうのか、誰も答えは見いだせていない。日本における住宅は、人間に取って恵みであると同時に脅威であるという日本の独特な自然観が脈々と受け継がれている。そのような感性を読み取ろうとすることが今後の僕たちの暮らし方を少しでも向上させるだろう。

 

切土と盛土により作られたVilla beside a Lakeは、地面と建築のあいだと題された論考でも述べられている通り、庭というよりは土木と建築の間のような住宅である。切土や盛土を敷地内だけで完結させようという意識が日本的である気がする。大地の家も同様に切土と盛土がなされているようだが、こちらは石と木の存在感がもの凄い。橋本の半納屋ではレベル差を持つ床が足から直に敷地を感じさせるデヴァイスのように働きそう。納屋に着想を得た簡素な架構や半屋外空間が印象的。同様に簡素な架構のササハウスは、佇まいの簡素さや家型断面を屋内外に分割する構成がヤナハウスを連想させる。前作と異なる点は法面を囲うように配置されたL字型の平面や2,100に抑えられた軒高であるが、単純かつ抽象的な平面形状なのに自然に溶け込めている。

蒲郡の住宅のような斜面住宅は三分一さんの北側斜面の家がはしりだろうが、この住宅は道路側に緑地を置いている部分が特徴である。

磐座の家は中村さんらしいオーソドックスなプランと丁寧な仕上げと植栽。nの家はこのサイズの中庭が必要なのか疑問に思う。PeacoQは扇型の敷地が持つ開放性を活かして、円弧状の接道部分に向けて居室を開くとともに、レベル差や植栽と二重外壁のレイヤーで上手く距離感を取っている。都市の風景は杉並区にしてはかなり広い敷地に角度を振って矩形の建物を配置しているので、4つの庭をそれぞれ写真で見てみたかった。建築家夫婦の自邸兼事務所である葉山の家は庭と中庭がいい。単なる建物と庭の関係に終わらず、中庭があることでダイニングやアトリエがそれぞれ庭と関係し、居室同士の関係も調整されている。パサージュ・ボタニックは北側接道の郊外住宅地で、街区にある全ての住宅が北側配置として南に庭を確保しているのに対して、T型のヴォリュームを敷地中央に配置し、そのヴォリュームの根元は大きな開口を持ちつつ両側を和洋の庭に挟まれている。この根元部分は和洋、男女のような二項対立を顕在化させるとも捉えられるし、視線の抜けによって内外が一体化して建物と庭の二項対立を曖昧にしているようにも取れる。太宰府の家は新設したはなれのリビングと庭、既存の庭の関係が良いものの、斜めの軸を導入した効果はいまいち分からなかった。谷戸の家は彫刻的に屹立する佇まいから居室と庭の関係が結べているのか一瞬疑問に思ったが、内観の写真を見ると矩形の部屋が放射状に接続されることで多方面に視線が抜けておりむしろ内外の関係が密になっている。

このように建物の配置で工夫する作品が多い中、神職の文庫は屋内を暗い色で統一することで屋外の緑が映えるとともに母屋の白い外壁や玉砂利の反射光を効果的に取り込み光と陰で自然と人間の接続を試みている。