建築再生日記

建築を見たり読んだり聞いたりして、考えたことを記録するメモ帳

新建築2020年7月

 

WITH HARAJUKUは性格の異なる地域同士を接続させようという意欲的な試みが目指されているものの、議論を呼ぶような挑戦は回避されているように思える。RCと木の端正なファサードが特にそれを感じさせる。日本人にとって重要な場所でそのような建築が量産されるように思われるのは、意思決定システムが民主化しているのに大衆がいつまでも市民に成長できていないことの現れなのかも知れない。なんだか最早そう言った状況を批判的・アイロニカルに表現してしまった方が良いのかも知れないとすら思えてくる。

そう言った状況では政治的な正しさや経済的合理性、リスクの少なさばかりが重視されるようになるだろう。その意味で環境にフォーカスする作品が多いのは肯ける。都立多摩図書館 東京都公文書館は書庫の温湿度環境を整えるために外壁を二重にしつつ、外壁間の空気層を設備置き場として有効に活用している。T-FIT HATCHOBORIはセンターコア型の平面におけるコアを煙突効果による換気ルートにしている。提案自体はうなずくが民主的な制度の中でリスクヘッジとポリコレ的な判断の帰結と言えばそれまでにも思えるのが悔しい。上勝町ゼロ・ウェイスト センターはもっと希望が持てる感じがして、リユースされたサッシを集積させたファサードや周囲の山並みと補色の赤色に塗装された外観が地域の人々の意識がひとつになっていることを感じさせる。また、端材を出さない丸太の切り出しによりダイナミックな架構が生じている。熊野の点と点とはひとつ一つが数百人レベルの小さな山村が主体の小さな改修工事であり、おそらくコミュニティの大半がプロジェクトの存在を知っているだろうし、一定割合以上のメンバーは関わっているかも知れない。また、1人の建築家がいくつかのコミュニティを相手に同規模の仕事をすることで、コミュニティ同士のつながりが発生しているようだ。新規プロジェクトのコアメンバーが前例の見学に出向いたり、それをもとに議論したりする状況が発生しているのだろう。コンテナ町家は収益を確保するための床を新設しつつ既存家屋を保存するために思い切ったことをしている。鉄骨造の架構の仮設生がより際立つとより良いと思う。

UNIQLO PARK 横浜ベイサイド店では売り上げを最大化できるインテリアが決まっているせいで建築家に提案は求められなかったのだろうか。もしくは表層を彩るスター建築家と深層を計画する建築士集団に分離発注されているのだろうか。UNIQLO TOKYOでは外壁やスラブを除去して構造フレームを屋外にまで展開させるとともに大きなボリュームをつくる行為、それから様々な仕上げによりヒューマンスケールに近づける行為がなされているが、そう言った「他者」を持ち込まないと1人の建築家が全てを設計することはできないのかも知れない(既存という「他者」が入っている時点で1人が全てを設計してはいないかも知れないが)。P.61のインタビューによるとユニクロ佐藤可士和と週一でブレストをしているそうだが、プラダのコンサルをしているOMAのように、何を作るかを一緒に考える存在にならないといけない気がする。佐賀城内エリアリノベーションは全体を一新するのではなく部分の改修を積み重ねる。ユニクロとは対照的に建築家がやるべきことを見つけていく作品。本覚寺の森もマスタープランを建築家が考えているが、建築家にしかできない提案が欲しい気もする。