建築再生日記

建築を見たり読んだり聞いたりして、考えたことを記録するメモ帳

新建築2021年7月号

ブルス・ドゥ・コメスはプンタ・デ・ラ・ドゥガーナのように入れ子の構成を作る事で新旧を対比させている。歴史的厚みをもった既存建築に、分厚いコンクリート壁をぶつけている。この壁は近代に対する信頼・憧憬にも見える。歴史的建造物に正面からぶつかる勇気の素。相当な気概をもって挑んでいるからの緊張感が感じられる。と思う。実際やるのは相当な胆力がいるだろう。

一方で京都鳩居堂は新築だけれどプロポーションや素材などで近代的なものと歴史的なものがそれぞれ使われている。8月号の月評に新古典主義的と書いてあってなるほどと膝を打つ。そう思えば本来の意味での新古典主義建築は、木で建てていたものを石で建てるようになり、今度はそれを鉄やコンクリートで作るようになったものだったのかと当たり前のことに気づくなど。論考の「ノスタルジー=その共同体が持つ時間的な広がりに対するイメージ」

 

実物を見に行ったが内藤建築は良い意味で同じ空気感を纏っている。スチール、杉ルーバー、低い軒先、シャープなプロポーションなど共通点があることにやっと気づいた。安藤建築のように一目で分かる個性も良いが、内藤建築のような滲み出てくるものもいいのは、論考で書いている「ノスタルジー=その共同体が持つ時間的な広がりに対するイメージ」を可視化/想起させるからなのではなかろうか。

マルホンまきあーとテラスは家型の連続によって劇場というナカミの表象を回避しつつ内部のプロポーションを変化させている。藤本建築はさらに弱い建築だと思う(二等になった青森県立美術館コンペでも『僕は弱い建築を作りたいのです』って確か言ってたしね)。

 

安藤建築の力強さ、内藤建築のノスタルジー、藤本建築の形のない形。安藤さんは徹底して近代的な手つきを用いているし、その事は古典建築と対比させられる事でより一層明確に現れている。それに比べると内藤さんはモダニズムに疑念のようなものを持っている世代だからか、周囲との関係も建築単体の中でも近現代的なものと歴史的なものが混合している。藤本さんは安藤さんよりだいぶ内藤さんより明確に近代以降を志向しているが、モチーフは家形という歴史的なものだし力強さのない力強さが目指されている感じがする。

 

熊野東防災交流センターは外壁のせいか、プロポーザルの魅力的な提案書に比べてのっぺりしている感じがするが、こういった建物が公共にできることはよても良いことだと思う。