建築再生日記

建築を見たり読んだり聞いたりして、考えたことを記録するメモ帳

住宅特集2020年12月号 光と風のデザイン

内藤さんが昔東大で講義を持っていた頃に「デザインとは翻訳である」と教えていたそうだ。翻訳の対象は技術、場所、時間の3つだった気がする。いずれも共通しているのは不可視の事象をモノによって可視化する点である。

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そういう意味では今月号の特集は環境の翻訳と言えようか。なんだか前にも同じようなことを書いた気がする....。環境の翻訳と言う視点にもっともしっくりくるのは箱の家164だろうか。難波さんは箱の家シリーズで一貫してローコスト、工業化、サステナブルな住宅を目指している。理論と実践、仮説の構築と検証の間を往復するような活動を自分もやってみたいと思う。構成は敷地が建物と庭・駐車場に二分され、建物は中央の吹き抜けを介して両側に居室が並ぶ、いたって明快。構造と非構造の塗り分けによるアーティキュレーションも分かりやすい。こういったモダンな美学では合理性を視覚化したくなるものかなと言う気がするけれど、対談レジリエンスと建築家では環境制御の結果をそのまま形にするデザインは一元的で単純すぎると否定的なコメント。確かに空調方式で新しいことを試みているけれど、そこはあえて表現されているようには見えない。

掲載されている作品は温熱環境ではなくもう少し広い意味での環境をテーマとしているものが多いように思う。家具の家は道路側の外壁を視線より高くすることで、それより上を一枚の大開口としつつ視線をコントロールしている。プランもシンプルで、箱と家具だけの建築という感じ。論考塀のない家は頷きながら読む。たぶん僕たち日本人にとって不動産は自分のものと他者のものの二つしかなくて、公のものという概念はないのだと思う。庶民が戸建住宅を所有できる法と経済状況にあり、ささやかなセキュリティで都市が成り立つ日本ならではの街ができると良いなとは思う。その点、サクラと住宅は文字通り塀のない家ができているし、見開きの写真には一瞬公共建築かと思わされた。桜という公共的な財産を残す精神が塀のない街を作らせるのだろうか、なんて思ったり。あとは吹上の家のような、周囲と外壁面(や高さ)を揃えたり。対照的なのはHouseTで、セットバックも開口も一切なし。自宅なだけあり経済的な試行錯誤がなされた経緯が書いてるのは意表を突かれたが、これくらいのシミュレーションは普通はやらないのだろうか。寒冷地のトンネルと台形も開口なしに近い気がする。ポリカのような素材で間接光を白い室内に室内に拡散させる、五十嵐さんの十八番。

他には出窓を活用している都市型住宅もいくつか掲載されている。どちらかというと地価の高い都心で物理的にも心理的にもなるべく広がりを持たせるための道具である。出窓の塔居は出窓がぐるっと周りを囲むような形式が構造にまで敷衍されているけれど、風や温熱環境の制御にも寄与していると言う説明を鑑みても、少し形式主義的な気がしないでもない。武蔵小山の住居は出窓が造作家具のように振る舞うことで狭小住宅に広がりを与えようという試みがなされている。島田さんはスキップフロアが上手だけれど、今回は軸を振る余裕はなかったか。上井草の住宅も同様にスキップフロアの狭小住宅だが、こちらは中央の壁の周りをぐるぐると回りながら階段を上ることで視線が移り変わる。川辺さんは共同住宅で登場するイメージがあるので新鮮さを感じる。こういった狭小住宅では法的に実現可能な最大の面積・ヴォリュームをいかに豊かに計画するかが計画のほぼ全てと言って良いくらいになるけれど、どちらかというと豪邸の部類に入るConcrete Shell Houseもコンクリートの殻で大きな軌跡を作ろうとしている。考えてみれば予算との格闘は狭小住宅だけではないはずで、豪邸のクライアントは億ションと戸建で迷ったりしているだろう。

地方に建つ富里の家はRCの平屋で深い庇がついていて、沖縄の住宅という感じ。松橋の家はリノベかと思った。田舎でこれだけ敷地面積があったらもっと外壁の開口がありそうにも思う。でくさんちは塔のようなプロポーションとともに4面に同じように開口が設けられた立面が特徴的。周りが比較的空いていることがこの形式をもたらしたんだろうか。

斜面地でのリノベーションである高台の大窓はP101の遠景写真が増設されたテラスと縁側をよく物語っている。同様に斜面地に建つ御影の家は長手方向の抜けが快適そう。

 

(2h)