建築再生日記

建築を見たり読んだり聞いたりして、考えたことを記録するメモ帳

住宅特集2021年3月号/閾 環境と暮らしを繋げる土間

編集後記によると「閾」というテーマで特集するのは初めてとのこと。今までは土間というテーマだった気がするが、わざわざ閾という言葉を使っている意図があるのだろう。前書きを読むと、土間の存在が、内外の境界を線ではなく広がりとして捉えられる働きをしていることを強調したいようだ。土間は古くから民家や町家に見られるが、昔からずっと土間は住まい手と都市との距離感を調整したり様々な行為の場になったりしてきた。その、歴史的に受け継がれてきた土間が現代の住宅にどのように取り入れられているのか、今月号で特集しようということか。

ところで土間という言葉が生まれたのはいつからだろう?小作農の民家というか掘立て小屋なんかは幕末ごろでも土間に藁敷きなんてのもあったのだろうか。庄屋が住む民家や江戸・京都の町屋は土間があったみたい。前者では主に農作業、後者では炊事や接客がされていたみたいだから、今で言えば炊事と仕事か。もう少し上等な住宅になると内外を示す境界を示す場となってくるように思う。今月号で取り上げられているのも基本的にはこの頃と似たような役割が当てられているような印象。

 

表紙のSHOCHIKUCHO HOUSEは、短冊状の敷地に10m級の建物が建ち並ぶという文脈の中で、町屋の批判的継承に試みた作品と言えないか。土間は町屋の通り土間であるにとどまらず、矩形の平面が垂直に立ち上げられ直方体のヴォリュームに変換されている。これにより温度差換気を促す気積や屋内と対比を生む半屋外空間、生活の雰囲気を周囲に伝えるインファーフェース、現況の街並みと連動したスケールのヴォリュームなど様々な意味づけが付加されている。つまり土間は懐古趣味やポリコレの援護射撃のためではなく、伝統の批判的継承、再解釈の場所である。

とすると、町屋と並ぶ土間の住宅、民家を再解釈した作品は寺部の家か。土間は半農半住の場所という伝統的な役割に、室同士や屋内外の距離感を調節するバッファーゾーンの役割が付加されている。批評性のようなものがSHOCHIKUCHO HOUSEの方がより強く感じられるように思うのは、シンプルが故に力強い形式が顕在化しているからだろうか。

 

他の作品は歴史的要素の再解釈といった態度とは別の方向で捉えられるように思う。

朝霞の住宅は隣地とのバッファとしては寺部の家と同じだが、こちらは土間というよりはガラス張りのヴォリュームである。下青島の家は躯体が作る3*3のグリッドの中を、渦巻き状に空間が連続している。グリッドを跨いで仕上げやエレメントが連続していることで、屋外がずるずると奥まで繋がっているような空間である。入り口の土間もその延長である。北野田の住宅は交差点と各室の距離感を調整する立体的な空間構成の一部としての玄関土間。龍泉寺のカフェと住まいはカフェと住まいの連続性。ここまでがバファゾーンとしての土間、と無理矢理くくれるか。

その他、宮若のはなれは分棟配置で複数棟に土間を用いることで新たな連続性を作ろうという試みが、増築とリノベーションで行われている。中条の家は一目で沖縄と分かる地域性を纏っているが、それは土間というよりはRC造、平家、深い軒の3セット。コの字型配置や複数の庭や土間が地域性を顕在化するものだとより良くなりそうに(東京目線からだと)思ってしまう。イノキイエ余白の家ZOGA-Hは形式が純粋に現れているせいか土間よりもそちらに注意が取られる。