建築再生日記

建築を見たり読んだり聞いたりして、考えたことを記録するメモ帳

様式の上にあれ

様式の上にあれ―村野藤吾著作選 (SD選書)

村野藤吾は作風がないことが作風であるというパラドキシカルな印象を持っている。一方で、地元にいくつかある(あった)村野建築は今でも強く印象に残っている。その経験から、思想を持って丹念につくられたものにはある種の強さが宿ることを学んだ。

村野建築はモダンでありながら様式や装飾も感じられる不思議さが漂い、同時に即物的というか実直なエンジニアリングの感性も感じられる。たぶん学生時代にセセッションに感化されたことや渡辺節事務所で様式を鍛えられた経験、そもそもは機械科にいたことが影響しているのだろう。

村野が様式を重視していたことは実作だけでなく本書のタイトルなどにも表れているが、様式を重視したのは村野スタイルの装飾をつくりたいという意味ではない。「様式は構造と装飾のオルガニゼーションである」と言っているように、村野は構造と装飾の「道徳的一致」を指向した。なぜならそのことが建築に「時代思潮と地方的民族精神の経緯・反映」をもたらすからである。

村野が様式を通して考えようとしたのは、科学的な技術力をもってヒューマニズムの社会を作るという近代的精神である。村野によれば、それを可能にするのが批判能力である。批判能力に基づく近代的な都市と社会をつくるために、建築家は過去や外国の様式を真似るのではなく現在の様式をつくらなければならないと指摘した。

20世紀初めという時代、近代的な都市と社会をつくることとはつまり国民国家をつくることだったと思う。だが村野はその先を見ていて、コスモポリタンと国粋論者の二項対立を超える必要性を指摘し、むしろそのためにこそ批判能力が必要であると指摘している。明治生まれの20代が書いた戦前の文章とは思えないくらいに論理的で人文的だ。現代のように国境が溶解し始めつつも人がぶつかり合うことが見えていたのだろうか、なんて思ったり。