建築再生日記

建築を見たり読んだり聞いたりして、考えたことを記録するメモ帳

現代建築愚策論

初版は1961年であり、収録されている原稿は1958年から60年にかけて建築雑誌に発表されたものである。タイトルから執筆当時の愚作について書いているのかと思っていたが、実際は当時都市に生まれていた建築の新しい巨大さを示しつつ、そこに(フリーランスの)建築家が切り込むべきだという主張が述べられている。

建築家が社会の重要な変化を見逃したり目を背けて前時代のテーマに囚われ続けながら自嘲的に「建築家は儲からない」とか「施主の理解が得られない」とか言っているのは、今日でも同じである。建築家の職能がアトリエの「マスプロ型」と組織の「デラックス型」に分離し、現在は表層を前者が、深層を後者が担う事例が多い点まで含めて、末尾で藤村さんが解説している通りである。

 

一方で、小住宅は八田が言うように決められた間取りを繰り返しに過ぎないのだけれど、小住宅は相変わらず建築家の主要なテーマである事は変わらないとも思う。「小住宅ばんざい」の直後に発表された中野本町の住宅、塔の家、住吉の長屋などいくつかの住宅は、若い個人の施主や建築家が、彼らには扱えない巨大な都市のダイナミズムに抗ってサバイブするための砦としてつくられている(と僕は理解している)。

現代建築愚作論

 

(230928追記)

巨大な都市の荒波を航海する大型化するゼネコンや大型設計事務所とは対照的に、個人の建築家として活動していくことの決意表明のようにも見える。のちに磯崎は挫折して都市から徹底するのだけれど。

僕たちの世代は彼らの世代の背中を見て個人の「アトリエ」を掲げる意味がどこまであるのか、考えないといけない。

 

途中だけどいったん公開。