建築再生日記

建築を見たり読んだり聞いたりして、考えたことを記録するメモ帳

錯乱のニューヨーク

錯乱のニューヨークを読みました。

 

 

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錯乱のニューヨーク

たぶん本書を初めて手に取ったのは学部生の頃、先輩に教えてもらった時だと思う。パラパラとページをめくっては「これは今の自分には到底読み込めない」と図書館の書棚に戻した記憶がある。

いま自分の手元にある本書は上京して大学院に進学した年に買ったものだと思う。学生時代や勤務時代に読んだ記憶はおぼろげに残っているが、その中身についてはほとんど理解できなかった思い出しかない。

この頃は良く読んでいた村上春樹が度々取り上げていたカラマーゾフの兄弟や白鯨に挑戦していたが、あまりにも長くハイコンテクストでさっぱり分からなかった。あの頃は上京して気分が高まっていたこともあり色々と背伸びをして本を買った。本書もまさにそのような書物の1つだったが、最近になって完読するまでに出会いから10年以上も経ってしまった。

 

昔は気がつかなかったが、本書は著者(もしくは想定された主要な読者)の価値観が色濃く反映されている。本書を一言で表せと言われれば、ぼくは「冷戦時代にキリスト教的価値観をもって書かれた近代建築史のオルタナティブ」と言うだろう。

 

本書がキリスト教的だと感じさせる最も典型的な理由は、終始一貫して用いられている三位一体の視点にある。たとえばコニーアイランドは海の家・ルナパーク・ドリームランドの3要素で捉えられ、摩天楼は敷地の上方拡張・タワー・ブロックまるごとの3要素で捉えられるなど、重要な出来ごとはほとんど全て3つの要素から成り立っていると説明される。

キリスト教といえば世界を創造したのは神であると聖書に書いている。つまり世界を創造する力は最も神聖な能力であり、人間はその力の一部を唯一分け与えられた存在だということになる。そうすると、自然を破壊しながら人工的な建造物を建てる行為というのは神による天地創造の比喩であり、神から与えられた聖なる力の発揮であり、人間が神の最も優れた創造物であることの自己確認である。ここで建築は宗教性を帯びた神聖な行為に高められている。

 

この本にもうひとつ染み付いているのが「こちら側とあちら側」という世界観である。

先ほどは三位一体で世界が捉えられていると書いたが、ところどころ二項対立の場合がある。これは本書が冷戦時代に執筆されたことが深く影響していると思われる。

 

ということで本書は冷戦時代にキリスト教的価値観で近代建築史を書くという挑戦に正しく成功しているように思われるが、今求められるものがあるとすれば、それは仏教的多神教の価値観、ポスト冷戦・新自由主義・情報化社会・グローバリズム的な世界観を反映した建築史だろう。そしてそれは次の著書「S,M,L,XL」や「JAPAN PROJECT」に現れ始めていると思う。

 

 

さて、本書の内容であるが、60年代末に建築が「解体」され計画概念が無効になった時代に建築や都市を構築する主題の在処としてメトロポリスー具体的にはマンハッタンーに注目し、マンハッタニズムという語られる事のなかったマニフェストを回顧的に整理する試みである。

 

マンハッタニズムの歴史は、発見された新大陸の自然にコニーアイランドという人工的な楽園を創造することで幕が降りる。フロンティアにおけるコニーアイランドの実験は一定の成果が得られ、次のステップとして本格的に現実世界へ移植する試みが開始される。

 

1.世界の再創造

エレベーターの発明により、物理的な障害なくアクセス可能でプライベートな床の積層が可能となった。島の中のグリッドという限られた世界でビジネスへの飽くなき要求が渦巻く地では、無限に上方拡張される敷地は正にフロンティアだった。

同時に、新たに創造された床は互いに分断された無関係な空間となるが故にそれぞれのフロンティアでそれぞれの世界を創造されようになった。その結果(ここではコニーアイランドで自然を人工の楽園に変えた技術が効率増大用小道具として用いられている)、建物の用途をもとに未来予想図を描く事が不可能な予測されざるアーバニズムを生み出すこととなった。こうしたユートピア的不動産の世界においては、建築はもはや建物をデザインする芸術ではなく、ディベロッパーが工面してきた土地を上空へ突出させる作業に過ぎなくなった。フラット・アイアン・ビルを皮切りにこのような建物が建設され始め、建物は都市の中の都市たる性格を帯び始める。

 

2.タワーの付加

ラッティング展望台に始まりコニーアイランドで様々に進化していたタワーがメトロポリタン・ライフ・ビルという建物に付属される。これにより箱型のビルはタワーとなり、メトロポリスの人々を惹き付ける。

 

3.ブロック丸ごと

マジソン・スクエア・ガーデンとヒポドロームの出現により、ブロック全体が1つの管理区域となり、コニーアイランドの伝統に連なる娯楽の場となる。このような建物が増えることでマンハッタンは島のように孤立したブロックが漂う群島と化す。

 

これら<世界の再創造><タワーの付加><ブロックまるごと>という3つのプロトタイプが互いの弱点を補完し合うように融合して誕生したのがウールワース・ビルディングである。

ここまで進化した建物は好むと好まざるとに関わらず自己モニュメント化し内部と外部が乖離する。この建築的ロボトミーによる最初の例はマレイのローマ庭園である。この方式はマンハッタン中に広まり、空想世界が実利主義を追い越すこととなった。

 

<ハウスヴィレッジ>

ビルの巨大化により生じる様々な弊害を抑制すべく、1916年にゾーニングが制定される。表向きは巨大建築の規制であるが、その中身は摩天楼に対する遡及的認定書であった。それだけマンハッタンにとって摩天楼は不可欠な存在になっていたということである。ゾーニング法によりマンハッタンはメガ・ヴィレッジを構成する2028の巨大ハウスの集合体であるという概念が完成する。

 

<マウンテン>

フェリスはレイモンド・フットやコーベットと共に、マンハッタニズムの真の問題点であるゾーニング法の未開拓の可能性と、この条例によりマンハッタンに描かれる理論上の建物の外形を探ることで、メガ・ヴィレッジの最終形を描き出す。そこでは建物の外形は予め定められたプログラムに沿って進行する計算機のように自動的にスタディが進行し、個々の建築家が介入する余地はほとんどないように思われる。ここにマンハッタニズムが完成する。ニューヨーク市地域計画においても摩天楼は前提として設定されている。

 

<近代化されたヴェネツィア

この頃顕在化していた過密の問題に対してコーベットは高架式・アーケード式歩道を構想したが、それは過密を解消するどころか加速するものだった。ここで過密はむしろ肯定的な要素に反転された。

過密によりゾーニング法におけるハウスとヴィレッジ、フェリスのマウンテン、コーベットによる近代化されたヴェネツィアがひとつになると(また3要素の融合)、それまでの客観的で理性的なプランニング手法に代わる原理を生み出した。

 

 

とあるブロックは農耕地として何人かの手に渡った後、アメリカン・ドリームを掴んだアスター家が邸宅を建てホテルへ改装する。時代とともにブロックの価値が高騰するとともにブロックにふさわしい建物は摩天楼をおいて他に無いという状況になる。敷地にはエンパイア・ステートビルというひとつのハイライトとなる摩天楼が建設される。

エンパイア・ステート・ビルは同時期にヨーロッパで提唱されたシュルレアリスムの自動速記のように、自動建築である。経済的効率の最大化というプログラムに沿って設計は自動的に進行し、施工がひとりでに進んでいるように見える様は、遺伝子に沿って成長する胚のようである。

 

ダウン・アスレチック・クラブはオフィスではなく娯楽が摩天楼全体を支配した最初の例であり、見た目は他の摩天楼と区別がつかない事がロボトミーの完成を証明している。

 

マンハッタニズムの最も重要な建築家として取り上げられるのはレイモンド・フットである。フットはラジエーター・ビルで最初のニューヨーク摩天楼を実現させた後、マグロウ・ビルで氷山のような形体を提示し、セントラル・メソジスト教会では初めて多目的建築を手掛ける。建築理論では「タワー都市」の中で過密を抑えるには容積と道路幅のバランスが必要であることを主張すると、「ひとつ屋根の下の都市」で3ブロックを1つの敷地として扱う巨大なメトロポリス建築(その巨大さ故に過密をもビル内に吸収してしまう)を構想する。その進化版である「マンハッタン1950」では複数のブロックにまたがりつつ道路によって切り裂かれた巨大な38つのマウンテン・ビルにまとまり、マンハッタンに接続する橋すらもビルと化している。ここでは予測されうるマンハッタンの段階の始まりを暗示する。

 

EV、設備コア、柱、外装という共通項のみで結ばれる多様なプログラムを敷地内に同時に存在させ、マンハッタニズムの理論を最も完成した形で実現した建築物であるロックフェラー・センターは次の5つのプロジェクトが同時に実現したものと言える。すなわち地上のグリッドと地下のボザール、同時進行する複数の娯楽、敷地の上方拡大、屋上庭園と空中庭園である。ここまでくると単独の建築家では手に負えず設計は合議制が採られる。委員会に参加した建築家はそれぞれ自分のエゴを全面に展開する。

ラジオシティ・ミュージック・ホールは24時間人工のファンタジーを提供し続ける機械となる。

 

30年代のモダニゼーションが生み出した過密には資本主義だけでなく社会主義が混在している。イデオロギーの宣伝として芸術を利用しようとしたソ連が白羽の矢を立てたディエゴ・リベラRCAビルのメインロビーにレーニン像を描こうとしたことはその象徴たるイベントである。

 

RCAビルの最上階にあるレインボー・ルームは人工的な快楽の頂点を極める。
1934年にフッドが死去する。

 

ダリが試みた偏執症的批判方法(PCM)のようにマンハッタンではPCM的な状況が進行する。そもそも建築行為自体が根拠なき空想を現実世界に移植するという本質を孕んでいる。コルビジェが好んだコンクリートはゲル状の物質が突如として固体化する特質を持っており正にPCM的な物質である。コルビジェは偏執症的に「輝く都市」をマンハッタンに継木しようとするも、彼の計画はイデオロギーを抜き取られてしまう。

 

30年代後半にはマンハッタニズムは時代遅れになってゆく。最後のハリソンは得意の曲線をグリッドによって禁じられてしまう。XYZビルはRCAビルの劣化版となってしまっている。

 

 とまぁここまで書いて下書きのまま半年以上もほったらかしにしてしまっているので、続きはそのうち追記するとしてとりあえずアップ。

 

 

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錯乱のニューヨーク (ちくま学芸文庫)

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それでは今日はこの辺で。