建築再生日記

建築を見たり読んだり聞いたりして、考えたことを記録するメモ帳

住宅特集2021年6月号 木造その先へ

高床の家。歴史ある土地での歴史家の住宅。施主の言う「理性の設計」とは、飛躍的な仮説による設計のことだ。眺望を活かすための高床、その結果生じるピロティ、それを解放するためのキャンチを実現させる斜材、応力を分散させるための接合部と、敷地に沿った合理性を持つ架構が考案されている。同時にこの架構が建主との衝突の場にもなっている。施主やコンテクストとぶつかり合えるだけの強度のある理性だったと言うことか。伝統的な要素を直接使う事なく歴史に接続している感じがする。逆に伝統的な言語をそのまま使っているものとしては、鹿嶋の住宅は裳階を使った軒下がとてもきれい。田畑が散らばるやや間延びした住宅街において、周囲との関係を調整するための軒下。みんか2020は民家の言語を意識しつつ、熱性能の向上やワンルームでの場所を選びながら暮らす生活が試みられている。

最近の木造の特集でもう一つ欠かせないのが林業との関連で、先月の論考でも山をよく見て木を使うことが国内林業の興行に不可欠だと述べられている。徳重の家桜ガ丘の家のようによく山を見て木をうまく使うスキルは一朝一夕では身につかないし価格競争力もないのが辛いところ。堀端の家は転用を前提に設計された応急仮説住宅を実際に転用した例。十分快適な住宅だと思うし、応急仮設住宅ですら良質なストックなのだと理解できた。

金谷南町の家は地形と文脈に応答した架構のように見えるが、無柱空間である必要がどこまであるかイマイチ理解しきれていない。#桁は斜面に井形の屋根スラブを浮かべて、その下にレベル差のあるプランを展開するもの。巣-piderはたまに見る入れ子の形式。個人のスペースはベッド部分だけということになるのだろうが、10代の子供がそれで成り立つだろうか。床と光の家は今時減ってきた、空間や構造を成立させている形式を展開させるタイプ。小さな石場建ての家は川上に目をやったもの。可視化できるとより良い。奥天神の家は丘陵地故の小さなフットプリントと単位を展開させようとしている。風と火と農家住宅は単純な空間構成が風土と呼応している。武蔵川の住宅は島田さんお得意の軸振り&スキップフロア。形式性の強さのせいもあるかと思うが、豊かな内部の一方で周辺に対しては自閉的な印象を受けた。代々木の家は狭小地における耐火木造。耐火の外皮で覆われた内部が表しの「樹」でずるずると上下に繋がっている。